村上春樹はいつかノーベル文学賞をとれるべきか?
毎年秋になるころ、ノーベル賞が話題に上ってきます。
今年ももまた化学の分野において、日本人が受賞しました。
リチウム電池の凄さをテレビを見ながら再認識しました。
ノーベル平和賞も盛り上がります。
そしてやはりここ何年来と日本では:
「今年こそ村上春樹さんはノーベル文学賞をとれるのか?」
と言う事が話題になります。
ノーベル文学賞発表の夜は、毎年のように受賞発表をあるお店で毎年のように集まってまってい村上春樹のファンたち:
ハルキストたちが取材されます。
「今回はどうだと思いますか?」
「期待しています。。」と答えるファン。
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それをテレビで見ている私などは
「この人ここで去年も取材うけたのかしら?」などとちょっと考えてしまったりします。
毎年、毎年のこの「とれる?とれない?」という盛り上がる期待感。
でも村上さんが受賞してしまったらもうこのわくわくとした騒ぎがなくなってしまいます。
ハルキストたちはもうあの毎年集まって受賞を待つ秋のイベントがなくなるし、取材もされなくなるし、私たちも「あれ?また今年も同じ人かな取材をうけてるのは?」とか言いながらニュースを見る事も終わってしまいますし、
「今年は村上さんどうかしら?」とか、すでに毎年恒例化しているこの話題、
「今年こそ村上春樹さんとれるのかしら?ノーベル文学賞は?」とちょっとわくわくする楽しみがなくなってしまのです。
と考えるとこの秋の小さな楽しい毎年恒例化している話題、もうしばらくは村上春樹さんのノーベル文学賞受賞は先でもいいのかな?と思ったりして。。。
だってノーベル文学賞をとらなくても春樹さんの作品は世界中の人に愛されているからいいのでは?と思います。
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この記事を書いた私は逗子で整体院をやっています:
ついでにドイツ語日本語の通訳、翻訳もやっています: